2012年1月21日土曜日

手紙が運んだ「愛」と「絆」

昨日お送りいたしました「気仙のじいちゃん気仙のばあちゃん昔がたり(毎週金曜14時から)」に登場した米崎町在住の千葉宮喜さん(79歳)のお話は聴いていただけましたでしょうか?

聴けなかった方のためにちょっとご紹介しましょう。


小友町にあった千葉さんのご自宅は昭和35年のチリ地震津波の際にも津波で流され、そして今回も津波により、流されてしまいました…。

昭和35年5月24日の未明にチリ地震津波で流された自宅は数日後、宮城県の唐桑町の浜辺に打ち上げられていたそうなのですが、流れ着いている場所を伝えに来てくださった方が、それが千葉さんの自宅だとわかったのは、一棹のタンスの中にあった手紙に住所が書いてあったからなんです。


その手紙は、千葉さんが独身時代に、奥さんに向けて出された恋文でした。

奥さんが竹駒から小友にお嫁に来たときに大事に持ってきて、タンスにしまってあったんです。


唐桑の方は、その奥さんの宛名をたどって竹駒に行き、お嫁に行ったと聞いて、差出人の千葉さんを探して小友に来たんです。

チリ地震津波で流された手紙は、愛の力だったのでしょうか、ちゃんと千葉さんご夫妻の手元に返ってきました。



3月11日の東日本大震災では、千葉さんは車で避難する途中に津波に追いつかれ、車ごと波にさらわれましたが、車がガードレールに引っ掛かり、なんとか助かることができました。

しかし、残念ながら自宅は全壊し、跡形もなく消えてしまいました。もちろん、あの手紙もです…。

再び全てを失ってしまった千葉さんは失意の中で生活していました。



ところが、震災から数か月後、思いもよらないことが…

奥さんがタンスに大事にしまっていたあの手紙が、ガレキの中から発見されて、再び千葉さんご夫妻の手元に戻ってきたのです!


こんなことってあるんでしょうか!

千葉さんと奥さんの手紙という「絆」が、チリ地震津波と東日本大震災という2度の大きな津波を超えて、また奇跡のような出来事を繰り返しました。


現在、お二人は仮設住宅でお元気で暮らしていらっしゃいます。

千葉さんの趣味の「書」と、奥さんがされている和裁・洋裁の仕事を活かして、お二人は震災後の秋に開催された米崎町の文化祭に数多く作品を出品し、皆さんの目を楽しませました。


「一回経験しているから大丈夫だ。人生楽しく生きる。」

千葉さんはそう言って、笑っておられました。

私たちには想像もつかない多くのご苦労があったと思いますが、こういう方たちが高田を支えてきたのだなと思います。


そういった人生の先輩方からこれからもたくさんのお話を聞いていきたいと思います。

気仙のじいちゃん気仙のばあちゃんは本当に強い人たちでした。
そして、心優しい人たちでした。

津波を機に、高田に誇りを感じる毎日をFMスタッフが取材を通して経験させていただいているのです。




「 愛されて 謙虚に咲いて 福寿草 」

千葉さんにいただきました。