2013年1月23日水曜日

陸前高田市の今(第2回・小友町)

市外・県外にいる高田出身者の方から、現在の陸前高田の状況を知りたいという連絡をいただいて始まった市内8町の今を伝えるシリーズの第2回は、小友町です。

市内の方はご存じのように小友町も浸水面積がとても大きく、被害の大きいところですし、震災直後のガレキの量はものすごく、道路も大きく欠損した地域です。
南東側の大野湾からの津波と、北西側の広田湾からの津波が両方から挟み込み、広田半島の根元を分断したことで、広田半島側の住民は震災後しばらく簡単には行き来できないような状況でした。

まずはJR小友駅跡地です。小友調剤薬局跡から撮影しています。以前であれば、真ん中に駅、それから高田タクシー、土手久旅館がありましたね。
漁協跡地には左側のプレハブが建っています。何に使うのかはちょっとわかりませんでした…。たぶん漁協さんでしょうか。

こちらは、小友駅から200m東側の新田前の踏切です。末崎方面を向いています。線路はここまでしかなく、その先はただの原っぱになってしまいました。この先の土地では線路があったこともわからなくなるでしょう。
高田町は線路を山側を通して鉄道を再開させてほしいと要望しているわけですが、この辺りは一体どうなるのでしょう?どこを通せばいいのでしょう…。

ここは前の写真の踏切からすぐ近くの、只出漁港へ向かう道路です。津波によって欠損したために100m以上アスファルトがなく、今もそのままです。

こちらは只出漁港です。土地そのものが流失してしまい、堤防の内側だった土地に海水が入っていました(池のように見えていますがここは住宅が建っていた場所です)。
只出地区の海側は壊滅です。

門前の高台から花崎・浦の前・干拓地を見下ろしたところです。
広田湾が見えます。以前なら大きな堤防に邪魔をされて見えなかったはずなのですが…。

こちらは財当仮設団地前の道路です。
広田に向かう道路として、この道路がメイン道路になるとは震災後ちょっとしたショックでした。
以前であれば、地域住民の方しか通らない細い道路だったんですが。

こちらは小友中学校です。向かい側の小学校と同じく津波の被害を受けたのですが、小学校は少し高かったので助かったのですが、中学校は1階が破壊されてしまいました(小友小学校は床上浸水して泥だらけでしたが今はキレイになってそのまま使用されています)。
現在、解体作業が進んでいて、校舎の1階から削られています。体育館は元々ぶち抜けてしまっていましたが、校舎が壊されていくのは地元の方にとっても寂しいことでしょう。

真ん中に見えるのがアップルロードです。写真左側がモビリアに向かう方角になります。
ここは津波で大きく欠損して通行不可能となりましたが、震災の数日後から自衛隊の啓開活動によって、土が盛られ、道路が復旧されました。

この写真を見て何か気づいた方はいますか?

実は、先日、ようやく…ようやく、地域住民の要望が叶い、ガードレールと歩道が整備されたのです!つい先日までこの道路は、サイドが土手となっていて、滑ったらそのまま下に落ちるという恐ろしい状態のままだったんです。
震災から2年が経とうとする今、ようやく道路が整備されました。

ちょっと拡大してみました。ガードレールがあることがこんなに嬉しいことだなんて…。

ここはただの原っぱに見えますよね?
小友界隈の方ならご存知、小崎下の貯水池だったところです。
震災から1年以上も水が抜かれずに、「もしかしてご遺体があるのでは…」と思われていた池なのですが、車や船などが沈んでいましたが、ご遺体は発見されなかったということです。
今は水が抜かれたままで、ついには原っぱになってしまいました。

ここは浦の前です。アップルロードにつながる道ですが、この先は今もまだ舗装がされず、ようやく工事が始まったところです。まずは地下の下水管などの整備から始まっているんですが、それが終わったら道路工事に入るのではないでしょうか。

とにかく言いたい!小友町は市内で最も道路の復旧が遅れていて、まだまだ砂利道がたくさんあります。タイヤのパンクも今でも発生しています(土の中から震災ガレキのクギが出てくるため)。
道路は市の管轄なのか県の管轄なのかで対応が異なるということなんですが、何とか早く復旧を!

三日市の干拓地のガレキ処理現場です。うず高く積まれていた各種ガレキは今は少なくなり、もうすぐ作業も終わる感じです。まだ少し布類の山があり、どろどろの布団や衣服の山は生活の痕跡を強く感じさせるもので見るのがとてもつらいです…。

三日市の堤防跡です。写真の左側に少し堤防の残骸が見えますが、以前はその位置から右側に向けて大きな大きな堤防がありました。津波によってほぼ粉砕されています。今は昭和の初め頃のように海に戻ってしまいました(干拓地の埋め立てはチリ地震津波後ですから)。
再び潮干狩りができる浜辺を整備するという計画もあるようですが本当でしょうか?

矢の浦です。ここも道路が欠損していて、その上道路が凍っているもので、ガードレールがないので海に落ちる方は出ていないんでしょうか?とっても怖いです!
とにかく小友町は道路の整備が遅れています。市内で最も危険で生活しづらい道路です。

小友のローソンがあった場所は砂利と海になっていました。とてもコンビニがあったような場所には見えません。在りし日のローソンと今の光景を重ねてみることはもう難しいです…。

これを見てください。
両替の大きな堤防です。大きな堤防だったんですが、20センチほどのコンクリートの枠の中は、ただの土です。コンクリートが一部破壊されれば、堤防は次々と欠損していくのは当然だと思います。
この堤防は全てコンクリートだと思っていました。でも、違いました。
震災後に見たら、高田松原の堤防も中は土でした…。この工法には問題があったように感じます。

前の写真の堤防の上から見た両替の海です。突き出ていた堤防はバラバラになっていました。
願わくば、この両替漁港でまた海上七夕が見たいです…。
うごく七夕、けんか七夕が復活してきていますので、規模は小さくとも海上七夕も復活できないでしょうか…。

両替・金浜の堤防です。かなり倒れています。以前からつなぎ目が古くて、構造が弱く見えていましたが、やはり破壊されてしまいました。

鳥羽医院さんと小友調剤薬局さんは、唐笠松に移り、キレイな建物で再開しています。
比較的早い再開だったので、近所の病院の復活は小友の方々にとって安心できる要素で嬉しかったのではないでしょうか。

小友町を見て思うのは、市内で最も復旧が遅れているのではないかということです。
広田と小友はまだ砂利の道があります。道路に穴が空いたままのところもあります。復旧すらままならないのに復興はまだ先だなとしか思えませんでした…。

次回は米崎町です(ちょっと忙しいもので2月上旬まで見に行く時間がなく、報告が空きます。ごめんなさい)。