2013年1月21日月曜日

陸前高田市の今(第1回・広田町)


高田を離れ、市外・県外に住まわれている方が、「今の市内の状況がとても気になる」というご連絡をいただいたので、現在の陸前高田の市内8町の状況を写真でご紹介していきたいと思います。

今回は第1回目で、本日の広田町の様子です。

取り壊しが始まっていた広田中学校は今日見たら、完全になくなっていました。
体育館も校舎も全てなくなり、グラウンドにコンクリート片が少しあるだけでした。校庭は、津波によって大量に入った広田海水浴場の砂のせいでグラウンドなのか砂場なのかわからないほどです。

こちらは12月31日時点での広田中です(北側から)。土台がえぐれているので復旧も厳しい状況でしたので取り壊しとなりました…)。


広田水産高校もほとんど取り壊されてなくなってきました。右側に見える校舎の一部が残るだけです。昨日あたりで体育館もなくなったそうです。

今週中にはこの本校舎もなくなるようです。1階の浸水だったので、もしかしたら何かに利用できるかもと思ったのですが…。

ところで、広中と広水がなくなるのであれば、その真ん中にある広田保育園はどうなったかというと・・・奇跡的にあります!
今も子供たちが元気に通っています。早く堤防がほしい状況ですよ、これ!海まで300mほどですから。
床上浸水しましたが、手前の広中が防波堤となったのか建物の損傷は免れました。

広中前の天王沼も水が抜かれていましたので、埋め立てられるのでしょうか?

広田海水浴場の前の道路は寸断されていて、向こう岸に見える道路とこちら側は今でも3月11日同様、海と川の水に分断されたままです(海岸線から100m以上浸食されたまま)。
この場所を大きく迂回する形で田んぼの真ん中に道路を通していますが、復旧は当面無理でしょう。この地区は子供が歩くことは許されていないので、小学校が見えそうな距離なのに町内を迂回してバス通学をしている子供たちもいます。

泊地区です。左側の漁協のビルは残っていますが、それ以外のおうちなどはすでに撤去されています。

泊漁港の堤防の上から。高台のおうちは残っています。泊の堤防はほとんど残っているんですよね。コンクリートの1枚岩だったせいかと思います。むしろ、鉄製の防潮扉がねじまがっていました。
泊地区は被害が大きい地区の一つですが、この地区で当日亡くなられた方はほとんどいません。昔から津波に何度も襲われ、津波の恐ろしさが言い伝わってるために住民はすぐに近くの高台のお寺に避難したためです。しかし、そのお寺さえも津波に襲われ、みんなでさらに高い墓地に上がったそうです。

泊の消防屯所跡地には、「いこいはうす・とまり」という集会場ができていました。

広田町のコミュニティーセンターも先日取り壊されて、完全に更地になっていました。

広田診療所もなくなってしまいました(現在、近くのプレハブで診療中です)。

大野地区です。大野地区にあったヤマザキショップと理容むらかみと広田自工は同じ場所で営業を再開しています(理容店はヤマザキと隣接)。

これらの土地を全て嵩上げするわけではないようですので、広田町は今後どういう形になっていくのかはまだ見えてきません。町内で高台の造成も一切始まっていませんでした…。
市外の方はこの状況を見て、「被災地は復興してきている」と感じますか?
住民の方はさらに思い出が取り壊されていく状況に再度傷ついているのではないでしょうか…。

以上、本日は広田町の今をご紹介しました。
次回は小友町です。